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すっぽん料理について



皆さんは「スッポン」というとどのようなイメージを持たれますか?

「強精・強壮の妙薬」というようなイメージでしょうか? 
または、「大変高価な食物」・「一部のマニアしか口にしない食物」といったところでしょうか?
確かに、このような一面がすっぽんにはあります。
最近では、女性の美容や美肌に役立つ『コラーゲンを豊富に含む食べ物』としても認識されるようになり、
以前に比べ、かなりイメージが変わって来ましたようにも思われます。
私ども、株式会社 服部中村養鼈場が、
明治33年(1900年)に 浜名湖畔でウナギとともにスッポンの養殖を本格的に開始しましたが、
実は、そのずっと以前より、“スッポンはもっと身近な食材”として古今東西で親しまれてきたのです。
今回は、スッポン料理の歴史を紐解きながらのと皆さんにスッポンのイメージを少しでも変えて頂けたらと
思っています。
まずは、少し、柔らかいお話をひとつ。
グルメブームと叫ばれるようになって久しい昨今ですが、
その火付け役のひとつにマンガがあります。
中でも『美味しんぼ』(小学館 ビックコミックスピリッツにて現在も連載中)は、その代表です。 みなさんも一度はご覧になったことがあるのではないでしょうか?
その『美味しんぼ』の中で、『土鍋の力』(第3巻収録)という話があります。
美味しんぼ


山岡さんもオススメする土鍋とすっぽん

永年、スッポンを炊き続けることにより、スッポンの持つ旨みが鍋に染み込み、水を張って炊くだけでもその旨みがあふれてくる、土鍋に水を張っただけで、大変美味しい雑炊を作ることが出来るというストーリーです。
ここで紹介されている土鍋のモデルになったのが、
弊社の御得意様・京都のすっぽん料理の老舗『大市』で使われている 土鍋なのです。
こちらの『大市』の歴史は古く、創業は、江戸時代中期 元禄年間 (1688〜1709年)にまでさかのぼります。

しかも驚くべきことに、『大市』のメニューは創業以来、
『すっぽん鍋』(京都では“丸鍋”といいます)のみなのです。
このことからも、すっぽんが、昔から美味しい食物であるいう認知がされていたことがわかります。「大市」に関しては、『美味しんぼ』の第46巻 「究極のすっぽん料理」の中でも詳しく紹介されています。
ちなみに、すっぽん料理の老舗『大市』はこの他にも、志賀直哉の『暗夜行路』などにも登場しています。
美味しんぼ


すっぽんの伝統はとても古い

スッポンは、縄文時代の貝塚から、化石の出土例があり、弥生時代の遺跡である静岡市の登呂遺跡でもスッポンの骨が発見されています。
この時代は、亀の甲羅を用いた亀甲占い(甲羅を焼いてそこに浮き出た模様で占う占術)が行なわれていたので、必ずしもスッポンが食材だったとは言えませんが、占いに使わない肉をそのまま捨てたとも思えません。おそらく食べていたのではないでしょうか?

奈良時代に入ると、『続日本紀』の文武天皇元年(697年)9月の記述に近江の国(現在の滋賀県)より「白鼈(しろかわかめ)」 が献上されたとあります。
「白鼈」とは、白いスッポンのことを指し、おそらく、琵琶湖辺りで捕れた白いスッポンが珍しいので天皇に献上したものでしょう。
ただ、このスッポンを食用としたかどうかについては、定かではありません。


鬼平もすっぽん好き!?

江戸時代の中期になるとスッポンはよく食べられるようになったようです。
前述の『大市』もこの時代、創業していますし、 池波正太郎氏の代表作『鬼平犯科帳』にもこんな行(くだり)があります。火付盗賊改方の御頭(長官)、長谷川平蔵が、捜査の合間、部下にスッポンを食べに行こうと誘うのです。

「すっかり北山だよ。
忠さん、上野山下の魚半(うおはん)ででもやろう じゃあねえか、精がつくぜ」

「恐れ入ります。長官、すっぽんも此頃(このごろ)は上等になったもので」

うむ。おれが親父の若いころには、道端(みちばた)の屋台で煮売りをしていたとさ。
あんなものは武士が口にするものではない、なぞと、
おりゃ、ずいぶん、お小言(こごと)をくったものだ」
鬼平犯科帳
池波正太郎 著 鬼平犯科帳 −密偵(いぬ)− より引用

無論、これは、時代小説の中での描写ですが、スッポンが、 江戸前の握り寿司や天ぷらがそうであったように、当時は、庶民が屋台で手軽に食べる食事、いわば、ファースト・フードだったことを垣間見ることが出来ます。
ただ、スッポンは成長するまでに時間がかかる為、天然で捕れるスッポンの数も少なく、人気が出るにつれて庶民の口から遠ざかった のかも知れません。
ただ、この時代から既にスッポンは「美味いモノ」と認められていたことは間違いないでしょう。

江戸時代末期、弊社の創業者 服部倉治郎の先代 三代目鮒屋五郎兵衛・徳次郎がスッポン養殖を志したのも「美味いモノ」をもっと食べたいという発想からだったかも知れません。

通俗 すっぽん料理 明治時代に入るとスッポンの需要は、更に増加して行きます。

弊社の創業者 服部倉治郎も自らが編纂した『通俗 すっぽん料理』 の中で

『世の中の進歩に伴い、
食べ物についても人々が衛生とか滋養とかに
留意するようになって来た、
すっぽんについてもその用途が多くなって来た』


と記しています。


世界各国の美味しいすっぽん料理


お隣りの国 中国では、スッポンのことを甲魚(チェユイ)・円魚(イェンユイ)・団魚(トワンユイ)等といいスープや煮物、蒸し物の材料として使われます。

中国における、スッポンの歴史は日本のそれよりも遥かに古く、古代中国において、スッポンは貴重なタンパク源のひとつとして紀元前の頃より、食べられて来ました。
例えば、秦王朝滅亡後の楚漢戦争(そかんせんそう)(紀元前206−202年) 西楚の覇王項羽と漢王劉邦のいわゆる「項羽と劉邦の戦い」でのこと。

最後の決戦となる垓下(がいか)の戦い(四面楚歌という言葉が生まれた戦い)を前に項羽の愛妾、虞美人が項羽の為、スッポンと烏骨鶏のスープを作ったとされています。これが、現在、薬膳のメニューに「覇王別姫鍋 (はおうべっきなべ)」として残っています。

一方、ヨーロッパに目を向けると、フランス料理では、スッポンのスープを“トルチェ”といい、大変、美味しいスープとして認識されて います。

小説・テレビドラマ「天皇の料理番」のモデルとなった宮内省 初代
主厨長 秋山徳蔵氏(1888年〜1974年)のメニューの中にもスッポンのコンソメスープはたびたび登場します。

大正4年(1915年)11月17日 京都二条離宮で行なわれた 大正天皇即位の御大礼の洋風賜宴メニューを見ると、

スッポンのコンソメ
ざりがにのポタージュ
鱒の酒蒸し
鶏の袋蒸し
セロリの煮こみ
アイスクリーム
フルーツ等のデザート各種
洋風賜宴メニュー
牛ヒレ肉の焼肉
鶉(うずら)の冷製
オレンジと酒のシャーベット
七面鳥の炙り焼、鶉(うずら)の付け合わせ
サラダ
酒類
アモンティアード
1900年醸、シャトー・イケーム(白)
1877年醸、シャトー・マルゴー(赤)
1899年醸、クールボアジェ(赤)
ポムリーエグルノ(シャンパン)
コーヒー

となっています。

このように、フランス料理においてもスッポンは、昔から使われてきたのです。

今回、ご紹介したスッポンの食材としての歴史やエピソードは、ほんの一握りにしか過ぎません。
スッポンの歴史はもっと奥深いものだと思われます。
しかし、意外にもスッポンは世界各国で、昔から使われてきた食材だということは間違いないと思われます。
最近は、美肌効果や美容効果で注目されつつある食材のスッポンですがそれだけではなく、“昔から親しまれてきた美味しい食材”として一度、召し上がってみては如何でしょうか?

参考文献

「味 天皇の料理番が語る昭和」  秋山徳蔵 著 2005年 中公文庫

「亀」 矢野憲一 著 2005年 法政大学出版局